恐れず倦まず「消費拡大」を そうすれば「日はまた昇る」 元・英「エコノミスト」誌 東京支局長 ビル・エモット
(SAPIO 2008.10.8号 P23〜)
(バブル崩壊前夜の1990年、それを予言し、ベストセラーとなったのが、英国人ジャーナリスト、ビル・エモット氏の著書「日はまた沈む」だ。その後、多くの著書・論文で鋭い日本分析を続けてきた氏は、「世界バブル危機」に直面する日本経済を、どう見ているのか。資源高、インフレ懸念に世界経済が激動する時代に、日本経済が再び成長を取り戻すには何が必要か)
【原油や食糧は本当に足りないのか】
−サブプライムローン問題に端を発したアメリカの金融危機拡大。予想されたとはいえ、北京五輪以後の中国経済の失速。それに追い討ちをかける原油価格や食糧価格の高騰で世界経済は混乱状態になっている。同時多発的な世界バブル崩壊の要因はなにか。
「はっきりしている。いまは原油や食糧の需要が多いのに、供給が少ない。この一言につきる。世界的にこの需要と供給のバランスがいつになったら健全化するか、予測することは極めて困難だ。
ただ2008年6月以降、原油価格は市場で25%も下落している。また食糧価格も世界市場では下がってきている。なぜかと言えば、供給量は増えているにも関わらず、先進国の経済成長がスローダウンし、価格高騰に対する危機感とも相まって、需要が下がってきているからだ。
原油について言えば、高騰の理由として中国やインドといった新興国の需要増加が原油価格を押し上げているとの見方をする専門化が多かった。しかし、これは実質的な原因というよりもたぶんに心理面のほうが大きいのではないだろうか。
原油価格はたしかに2007年は倍増した。しかし、全世界の消費量を見れば、わずかに1.1%増加したに過ぎない。国別に見ると、中国は4.1%、インドは6.7%増加したが、ヨーロッパは2%、アメリカは0.1%減少している。
食糧価格について言えば、大半の責任は、実はわれわれ自身にある。本来食べるべき穀物を、自動車の燃料に使おうなどという誤った構想に夢中になったり、量産を目的とした遺伝子操作による食糧生産に真っ向から反対したことが、食糧価格高騰を招いた一つの要因になっている」
−ガソリンが高騰した要因としては、産油国の対応も無関係でないと思うが。
「先にも言ったように、エネルギーの需給バランスは、現実の消費量を直接反映したものではない。中国やインドのエネルギー需要急増だけでは、もちろんこの資源高騰は説明できない。当然、産油国が増産を渋っていることも大きな要因の一つといっていいだろう。
ベネズエラやイランに唆されたOPECは、資源高騰が世界的問題となって現在に至っても、なお引き続き「Windfall(たなぼた的利潤)」を得たいがために増産を渋っている。ロシアもこれに追従している。その結果何が起こっているか、彼らはわかっているのだろうか。
ベネズエラのチャベス大統領は「世界中の貧困に喘ぐ人を救済する」という「ボリバル的社会主義」を継承していると標榜している。しかし実際は、原油増産を抑えることで、貧しい人たちを苦しめ、餓死に追いやっている。原油供給量を増やせば、原油価格は下がり、その結果、食糧危機は解消されると言うのにだ」
【中国もインドもインフレを放置できない】
−食糧価格高騰の原因としては、供給の不足と共に、経済成長を果たした中国やインドの肉食需要が急増した点に焦点が当てられている。
「大量の穀物を必要とする中国やインドの食肉需要が増えれば、価格は当然上がる。ただそれが全てだというような分析では、現在起こっている現象を説明するには十分とは言えない。かえって誤解を招くだろう。つまり食糧インフレは、食糧分野だけに起こっている孤立した現象ではないからだ。
もし食糧価格の高騰を食糧分野だけで起こっている状況だと捉えるとどうなるか。そうだとしたら、食糧で大いに儲けたイギリスの穀物生産者は今頃みな高級車を乗り回しているはずだ。ところがそうはなっていない。たしかに穀物生産農家は以前に比べると、若干潤っているかも知れない。しかし、逆に牧畜農家はうまくいっていない。つまり農家である以上双方共に肥料が必要だ。肥料を生産するにはエネルギーが不可欠だ。エネルギー価格が上がれば肥料の値段も上がる。それだけ農家の負担は大きくなる。全てが回りまわってエネルギー価格を上げ、食糧価格に影響を与えている」
−この石油価格、穀物価格の高騰は今後も続くと思うか。
「中国やインドといった新興国では、食料品にかけるカネの割合が高いから、価格高騰に対する庶民の怒りはそれだけ大きい。日本の平均世帯が食費に充てる割合は収入の15%程度だが、中国ではそれが30〜40%となっている。生活必需品価格の高騰が家庭に打撃を与え続けることになったら、社会不安がもたらされる。従って、中国もインドもインフレを放置するわけにはいかないだろう。
私は、それらの国は今後六ヶ月から十二ヶ月の間に金利を引き上げ、通貨を市場から回収せざるを得ないと見ている。通貨供給量を減らせば、経済成長はスローダウンせざるを得ない。もし今後12ヶ月の間に、中国やインドの経済成長が鈍化すれば、原油価格も食糧価格も実質的に下がっていく。資源バブルは、まもなくはじけるだろう」
−日本国内には経済の先行きを悲観する声が広がっているが、先進各国の景気、経済は今後どうなると見ているか。
「たしかに、原油価格や食糧価格の高騰により、日本はじめ先進各国にはインフレ懸念が広がっている。そのため中央銀行が通貨政策緩和に踏み切れず、その結果として企業利益が落ち込んでいる。
現在の金融政策は、確かにしばらくは痛みを伴うだろう。しかし、あくまでも短期的な手段であるなら、それほど危険なことではない。
少しでも早くインフレ懸念を払拭するために需要と供給のアンバランスを解消する最善の手段は、石油生産、食糧生産に対する投資、代替エネルギーを生み出すためのニューテクノロジー、食糧増産のためのニューテクノロジーへの投資だと思う。とくに重要なことは、先進工業国家の政府機関が全力をあげて、これらニューテクノロジー開発を奨励し、開発に向けてインセンティブを提供することだ。もっとも民間がどの選択肢を選ぶかは、マーケットに任せるべきことは言うまでもない。
具体的には、食糧分野では、生産高を増やすために遺伝子操作された食料開発を認めるべきだ」
【日本は自給自足を目指すより経済改革を】
−日本では過去一年の消費者物価が1990年代初頭以来の急激な上昇を示している。たとえ短期的でも、世界的なインフレが日本経済に与える打撃は大きいのではないか。
「アメリカに比べれば影響は少ないだろう。日本の企業も家庭もアメリカに比べると、エネルギー効率で優っており、ヨーロッパ並みになっている。エネルギー価格の高騰が、企業の利潤や個々人の収入に与えるインパクトは、アメリカに比べれば、ずっと小さくなる。エネルギー高騰がしばらく続いたとしても日本が一気にインフレになるといったことはないだろう。
さらに日本の貿易収支の黒字額は、GDPの4%にあたる2000億ドルと、相変わらず巨額だ。輸入する原油価格や食糧価格が高騰しようとも、それに耐えうるだけの能力を持っている。世界的インフレが日本経済に与えるインパクトは、企業の利益に影響することはあっても、極めて限定的になるだろう」
−日本では、今回の反省から資源や食糧の海外依存度を下げるべきとの意見もある。
「日本にとってエネルギーや食糧の自給自足を模索するなど、時間や資金の無駄としか思えない。日本のように土地が狭く、資源に乏しい国にとっては、自給自足は輸入よりも高くつくのは自明の理。従って食糧やエネルギー政策の根本的な問題を解決する手段とはならない。たしかに、自国に天然資源が乏しい国は、国際商品価格の上昇による打撃を受けやすいが、自給自足により解決を考えるより、有効な金融政策で打撃緩和をはかることのほうが、はるかに重要だ」
−では、この世界的なバブル崩壊の時代に日本はどうすればよいのか、知日派としてアドバイスを。
「日本にとって重要なことは、生産性を向上させ、競争力を高めるための広範囲な経済改革を推し進めることだ。とくにこれから先は、革新的な産業分野での能力をいっそう高める必要がでてくる。
日本は2002年から2007年までの経済成長で、戦後最長の景気拡大と企業収益をもたらした。しかし、企業が利益を労働者に還元しなかったため、消費の伸びに結びつけることができなかった。日本経済の弱さは、消費の弱さにある。
今後は、企業中心の経済政策を改め、規制緩和を進めて企業間の競争力を高める方向に向かうべきだ。また輸出にかわる経済の牽引役として、消費意欲を高める努力を行うべきだ。そうすれば、他の製品やサービス分野でのコストを下げることができるし、原油や食糧の高騰によるインパクトを和らげることができる。イノベーションを進めることが、今後の日本経済成長の鍵となるだろう」
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